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クリティカルシンキングの不都合な真実  ビジネスで「考える」とはどういうことか?

「もっと気合を入れろ」

筆者が若手時代にはこのように言われたものです。

このフレーズの問題点は明らかです。気合を入れるというのは具体的にどういうことなのか、どうすれば気合が入っていることになるのか、気合を入れるとなぜうまく行くのか、ということがわからないのです。気合が入っているかどうかを判断する特権は年長者だけに与えられているので、若手は何をやっても気合が足りないことになるわけです。

このような精神論的アプローチ(「真剣にやれ」、「根性が足りない」などもありました)はビジネスのグローバル化とともにすたれて行きました。外国人に対して「気合を入れろ」とは言いにくいからです。グローバル化がもたらした恩恵の一つと言ってよいでしょう。そこで今日では次のように言われるようになっています。

「もっとよく考えろ」

これに応えるように、「クリティカルシンキング」というアプローチが日本の職場で認知されるようになりました。今日ではクリティカルシンキングという言葉を聞いたことがないビジネスパーソンは少数派になっていると思います。

それでは、クリティカルシンキングによって「気合を入れろ」の問題、つまり、わけのわからないメッセージという問題は解消したでしょうか。残念ながら答えはNoです。「気合」が「考える」に変わっただけで、わけがわからないという問題はまだ続いていると思います。なぜなら「もっとよく考えろ」と言われたときに、具体的に何をどうすればよいかが必ずしも明確ではないからです。

本稿はクリティカルシンキングを批判的(クリティカル)に検討することを通して、ビジネスで「考える」とはどういうことかについて説明をします。


1. クリティカルシンキングの正体

クリティカルシンキングのアプローチで「考える」ことができるようになればよいのですが、なかなかうまく行かないはずです。まず、クリティカルシンキングそのものの問題があります。それは「クリティカルシンキングとは何か」という根本的な規定がないのです。言い方を変えると、クリティカルシンキングには標準的な知的体系がないということです。これは日本だけの現象ではなくて、アメリカでも同様です[1]

そのため流派によって見解が異なることになります。これがクリティカルシンキングにおける混乱の温床となります。その結果、クリティカルシンキングとロジカルシンキング(論理的思考)はどう違うのかというような(ビジネスの役に立たないという意味において)不毛な議論も生まれるのです。

もちろん、規定がなければダメということではありません。さまざまな流派が切磋琢磨して、その中の最強のものがスタンダードとして確立されればよいからです。そういう観点から日本を見ると、グロービスのアプローチがその地位を占めていると言えるでしょう。

日本のビジネス界にクリティカルシンキングというアプローチを導入した功労者は間違いなくグロービスです。初版が2001年のグロービス著「MBAクリティカル・シンキング」は累計で数十万部の売り上げを誇ります。そこで、グロービスの「MBAクリティカル・シンキング」をベンチマークとして、クリティカルシンキングが本当に頼りになるのかを見ていきましょう。

[1] 英語版WikipediaでCritical thinkingの項を参照のこと。

1-1. グロービスのMBAクリティカル・シンキングの謎

グロービスの「MBAクリティカル・シンキング」は「クリティカル・シンキングとは何か」という問いに対して次のように述べています。

本書における「クリティカル・シンキング」は、「健全な批判精神を持った客観的な思考」という意味合いは維持しながらも、心理学の領域に深く立ち入るのではなく、「ビジネスパーソンが仕事を進めていくうえで役立つ」という観点にフォーカスしている。具体的には、論理思考の方法論(テクニックやフレームワーク等)と正しく思考するための姿勢(心構え)を組み合わせることにより、ビジネスにおいて「物事を正しい方法で正しいレベルまで考える」ことを実現しようとしている。[2]

クリティカルについての説明が中心のようで、必ずしもシンキングの説明にはなっていないようです。なぜならば、結論として、「……考えることを実現しようとしている」と言っているからです。「クリティカル・シンキング=考える」とトートロジー(同義語反復)になっているのです。これでは「考える」とは何かという根本的な課題に答えることは難しいと言えます。

もう一つ問題点を挙げると、「MBAクリティカル・シンキング」では第2部「状況を分析する」で対象について全体をモレなく把握することの意義を強調しています。この主張はまったくその通りです。対象をモレなく把握しようとしないのは「正しく思考する姿勢」ではありませんし、「物事を正しい方法で正しいレベルで考える」ことにならないからです。

ところが、「MBAクリティカル・シンキング」自体がクリティカルシンキングというテーマについてモレなく全体を把握できているという論拠を示していないのです。同書の用語を使えば、「MBAクリティカル・シンキング」はMECEになっているのかという疑問です。そのため、「大事なことがモレているのでは」という疑問に答えられないのです。

また、クリティカルシンキングの方法論として

  1. イシューを踏まえたうえで「考える枠組み」を考えること
  2. 正しく論理を展開すること
  3. 構造とメカニズムを把握すること

の3つが挙げられています。しかし、この3つでモレなく方法論の全体を把握している、つまり、なぜこの3つで必要十分なのかという根拠が示されていないのです。誰だって「自分で『モレなく全体を』と言っておきながら、それはないよな」と思うはずです。

さらに言うと、どうすれば全体を把握できるかという説明もないのです。「全体をきちんと定義する」という項目を見ると「『全体とは何か』をしっかりとイメージし、そのイメージが間違いないかどうかをチェックすることが重要だ」としか説明されていません。イメージで対応できるほどビジネスは甘くありません。

もちろん「MBAクリティカル・シンキング」のアプローチの有効性を否定しているわけではありません。しかしながら、根拠を提示しなければ相手を説得できないというのがビジネス界の掟です。そういう意味において、「MBAクリティカル・シンキング」はビジネスの厳しさに耐えられるのかという疑問が残るのです。

[2] グロービス経営大学院(2017)「グロービス MBAクリティカル・シンキング改訂3版」ダイヤモンド社,p.7.

1-2. 論理的に考えるとは?

ビジネスで「考える」というときは、しばしば「論理的に考える」という言い方をします。

「MBAクリティカル・シンキング」も「クリティカルシンキングとは何か」で「論理思考」という言葉を使っています。意見を否定されるときは「それは論理的ではない」と言われます。決して「クリティカルではない」とは言われません。そこで、「論理的」とはどういうことかについても検討しましょう。これが意外に曲者なのです。

実はビジネスで使われる「論理的」という意味は、論理を専門とする論理学が規定している「論理的」とは意味が異なるのです。論理学では何らかの前提から何らかの結論を導く論証のプロセスが絶対確実なものである(=前提が正しいなら必ず結論も正しくなる)ときに「論理的」と言います。このような論証を「演繹的推論」と呼びます。

例えば、すべてのAがBであり、すべてのCがAである場合、すべてのCはBという結論は真となります。一方、すべてのAがBであり、すべてのAがCである場合、すべてのCはBであるという結論は偽となります。したがって、前者は論理的、後者は論理的ではないということになります。

また、XならばYが正しい場合、XでないならYではない(裏)やYならばX(逆)、は必ずしも正しくありませんが、YでないならばXではない(対偶)、は必ず正しくなります。したがって、「XでないならYではない」と言うと論理的ではありませんが、「YでないならXではない」と言うと論理的ということになります。

このように論理学では論証が論理法則に厳密に則っているときにはじめて「論理的」となります。

論理学が言う「論理的」と実務家の言う「論理的」とは世界が違うことがわかります。ビジネスの世界では論理学が言うような厳密な論理は求められません。なぜならば、未知なる未来に対する挑戦がビジネスの本質なので、絶対確実なことなどほとんどないからです。

論理的な確実性を追いかければ追いかけるほど貴重な時間は過ぎ去り、その間に競合他社に事業機会を奪われてしまいます。そうすると、ビジネスにおいて「論理的」というのは、あいまいな概念であることがわかります。だから、「もっと論理的に考えろ」というのも「もっと気合を入れろ」と同じような混乱したメッセージを与えることになるのです。

ビジネスにおいて「論理的」とは?

それではビジネスにおいて「論理的」とはどういうことでしょうか。論理学とは違って、あいまいな意味で使われているので明確に答えることは容易ではありません。筆者が注目するのは、次のようなときに「論理的ではない」とは言われないということです。

 

  • 内容が理解しやすい。

 

おもしろいことに、内容が理解しやすいときに「くだらない」と言われることはあっても、「論理的ではない」と言われることはないのです(あくまでも筆者の経験ですが)。したがって、論理的であることはわかりやすさと深く関係していることになります。そうすると、わかりやすさはどこから来るのか、ということになります。

ここから先は、「自分が『わかりやすいなあ』と感じるのはどういうときか」という問いに対して自分で答えることで「論理的」の意味を決めればよいと思います。「それは個人的意見に過ぎないではないか」と言われたらその通りです。しかし、ビジネスの現場では一人ひとりが自分の定義する意味で「論理的」という言葉を使っているのです。「これが『論理的』の正しい意味です」と言い張ったところで空しいだけです。 そこで「わかりやすい」についての筆者の回答を示すと次のようになります。

 

  • 難しい言葉(自分の知らない言葉)や概念を使っていない。
  • 必要な情報だけで構成される(余計な情報がない)。
  • 言葉と言葉、アイデアとアイデアのつながりの間に飛躍がない(風が吹けば桶屋がもうかるはダメ)。
  • 言葉と言葉、アイデアとアイデアの間に矛盾が無く、全体のつながりに一貫性がある。
  • 根拠が明示されている。
  • 事実に基づいている。
  • 一つひとつのセンテンスが短い。
  • 接続詞の使い方が的確である。
  • 自分の知っている理論的フレームワークを使っている。

 

このようなスタイルで意見を言われたら、筆者は「論理的だ」と感じます。


2. 「考える」の理論的背景(1)アリストテレス

クリティカルシンキングが「考える」ということに対して十分に答えていないという問題点を踏まえて、改めて「考える」とはどういうことかについて議論を進めましょう。

「考える」というのは人間にとってごく普通のことです。なぜならば、太古の昔から人は、自らが経験する現実について、その本質、起源、意味を知りたい(=知の探究)と思ってきたからです。そのような世界の現象は、神話の時代には神々の気まぐれの結果とされました。

ところが、紀元前6世紀頃の古代ギリシアで理性を使って世界を理解しようとする哲学が誕生しました。したがって、知の探究、つまり「考える」とは何かという問いに対する答えのルーツはギリシア哲学にあります。

その中で注目すべきは万学の祖と称えられるアリストテレスです。[3]アリストテレスは知の探究(=考える)にはどのような手続きが必要かという問題意識を持ちました。それによって、先に説明した論理学(形式論理学)をほぼ完成させたのです。一方で、アリストテレスは論理学による厳密な論証である演繹的推論とは別に、「問答法的推論」についても論じています。これがビジネスにおける「論理的に考える」に該当すると言えます。

問答的推論というのは正しい前提に基づくのではなくて、仮説(真であることが明らかではない命題)を出発点とします。そして、仮説を演繹的に展開して結論を導き出すのではなくて、その仮説を支持する立場と反論する立場からの議論を通して結論を導きます。言い方を変えると、是か否かの検証作業を通して結論を導くということです。その際には、個別的なものから普遍的なもの(物事の本質)を導く帰納法が用いられます。

仮説が確証されなかったり、反論に打ち勝つことができなければ、その仮説が成り立つ可能性は極めて低いことになります。逆に、反論に打ち勝って確証を得ることができれば、その仮説は確からしいことになります。さらに、代替案となる他の仮説が反証されれば、この仮説の蓋然性は極めて高いことになります。前提が真であれば結論も必然的に真となる論理学的な論証と違って、問答法的推論の結論は必ず真ということにはなりません。言えることは、あくまでも妥当性の高さです。

しかし、ビジネスで必要なのはまさに妥当性なのです。なぜならば、運命が確定していない未来に挑戦するビジネスにおいて絶対確実な真理など滅多にないからです。したがって、妥当な仮説であるという確証を得ることができれば「論理的に考えた」ということになるはずです。今日の職場では仮説と検証というフレーズが普通に語られていますが、そのアプローチのルーツはアリストテレスにあるのです。

[3] アリストテレスは紀元前4世紀の古代ギリシアの哲学者で、アレクサンダー大王の家庭教師としても有名です。ソクラテスの弟子がプラトン、プラトンの弟子がアリストテレスという師弟関係です。


3. 「考える」の理論的背景(2)デカルト

アリストテレスは正と反の問答を通して妥当 な仮説を構築するモデルを提示しましたが、問答にさらす前にできるだけ妥当性の高い仮説を構築したいと思うのは人情です。どのようにすれば妥当性の高い仮説を構築できるでしょうか。それは「考える」ための具体的方法と言ってもよいでしょう。

これに答えてくれるのが近代哲学の父と呼ばれるデカルトです。[4]実は、デカルトこそがクリティカルシンキングのルーツと言ってもよいのです。

デカルトの主張は有名な「方法序説」で述べられています。何のための方法かは、その副題を見るとわかります。直訳すると「理性を適切に導いて、科学において真理を探究するために」となっています。つまり、科学的に真理を見極める方法について説明しているのです。その具体的方法として、デカルトは次の4つで十分だとしています。

  1. 正しいと認められるものだけを受け入れる(明証性の規則)
  2. 答えを得られるように問題をできるだけ小さく分解する(分析の規則)
  3. 最も単純なものから最も複雑なものへと思考を進める(総合の規則)
  4. 全体を把握しているか、モレがないかを確認する(枚挙の規則)

これが「要素還元主義」と呼ばれる考え方で、今日の科学の基礎となっているアプローチです。モレなく全体を把握する、MECE(Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive:モレなくダブリなく)に分解する、構造的にとらえる、という「MBAクリティカル・シンキング」の主張はデカルトに由来していることがわかります。

デカルトのアプローチをビジネスに適用すると次のようになるでしょう。

まず、明証性の規則は、事実に基づくということです。常識、慣例、意見、噂、臆見、忖度などではなくて、Factベースということです。大量の情報を処理しなければならないビジネスでは直接的な情報だけでなく間接的な情報(他人から聞いた話)も扱うことになります。情報が事実に基づいているかどうかについては慎重に対処する必要があります。総合の規則は、アリストテレス的に言うと、個別具体的な事実から帰納的な推論を行うことによって一般的、普遍的な原理や本質を導くということになります。

悩ましいのは枚挙の規則と、分析の規則です。モレなく全体を把握して、それを分解していくというのはその通りなのですが、どうすればモレなく全体を把握できるのか、どうすれば分解できるのか、ということがわからないからです。この問題についてはもう一人の哲学者がヒントを与えてくれます。

[4] 17世紀のフランスの哲学者で、「我思う、故に我あり」のフレーズが有名です。x軸、y軸の座標軸の生みの親でもあります。


4. 「考える」の理論的背景(3)カント

「名前を知っている西洋の哲学者を挙げてください」と言われても出てくるのはせいぜい56人というのが普通でしょう。そうすると、アリストテレス、デカルトの次はカント[5]が浮かんだ方も多いと思います。カントは「考える」という、人間にとってとりわけ重要なことに対して偉大なる貢献をしたからこそ世界史の授業でも名前が出てくるというわけです。

カントの主著である「純粋理性批判」は人間の理性の限界がどこにあるかということをテーマにしたものです。そこにおいてカントは、「考える」の出発点を次のように設定しています。

人間の認識には二つの幹がある。それは感性と知性だ。感性によってわたしたちに対象が与えられ、知性によってこの対象が思考される。(033)[6]

対象の像を受け取る能力は感性と呼ばれる。だから、わたしたちには感性を介して対象が与えられる。一方、対象について思考することができる能力は知性であり、知性から概念が作られる。(034)[7]

感性による直観(知覚)には空間と時間という二つの純粋な形式があり、これはアプリオリ(先天的)な認識の原理であることが理解できるだろう。(039)[8]

わかりやすく言うと、考えるためにはまず対象を把握する必要があるが、対象に関する情報は必ず空間と時間という形式を通して得られるということです。空間と時間が何であるかはうまく説明できないけれども、われわれはそれが何であるかは先天的にわかっていて、その二つの形式に基づいて情報を取得しているのです。

ここから言えるのは、空間と時間以外の道筋で情報が与えられることはないということです。したがって、空間と時間を押さえれば対象をモレなく把握できるということになります。

もちろん、空間と時間は自然哲学のテーマとして昔から論じられてきたもので、カントが初めて取り上げたわけではありません。われわれにとってカントの大事なところは、空間と時間を人間の「考える」行為との関係で論じたところにあります。

そこで、ビジネスにおいて枚挙の規則、つまり、「全体をモレなく」を行うためにはどのようにしてビジネスの空間と時間を把握すればよいかということが課題になります。空間と時間をモレなく把握するからといって、来年の桶屋の商売を考えるときに天候(風の強さ)や江戸時代の売上実績を調べる必要などありません。

そもそも対象となる情報のすべてをモレなくカバーするなど不可能ですし、意味もありません。「考える」ためには対象を意味のある範囲に絞る必要があります。これを論理学では「議論領域(想定される対象の集合)」と呼んでいます。したがって、ビジネスにおいてモレなく「考える」ためには、どのようにして議論領域を設定すればよいかということがポイントになります。

議論領域を適切に設定するために有効な方法は、ビジネスの理論に基づいたフレームワークを使うことです。理論というのは対象を説明するための知識の体系なので、理論に基づいたフレームワークを使うと、議論領域をモレなく意味のある形で捉えることができるのです。

代表的なフレームワークを挙げると次のようになります。人間の認識が空間と時間という形式に拠っているので、フレームワークも空間に基づいたものと時間に基づいたものに分類されます。

<空間>

  • PEST(Politics、Economy、Society、Technology)
    マクロ環境を政治、経済、社会、技術の4つの視点から捉える。
  • 3C(Customer, Competitor, Company)
    ビジネスは市場空間において顧客(Customer)と競合(Competitor)と自社(Company)が相互に関係しながら行われるので、3つのCを押さえておけばビジネスについてモレなく把握できる。
  • 5 Force Model(買い手、供給業者、新規参入、代替品、競合他社の脅威)
    業界の収益性は5つの競争要因(脅威の強さ)で決まるというM・ポーターのアプローチ。
  • 7S (Strategy、Skill、Staff、Structure、System、Style、Shared Value)
    企業組織は7つの要素で捉えることができる。
  • 4M(Man、Machine、Material、Method)
    品質管理の基本となる4つの要素。品質不良は4つのMのいずれかに起因する。

<時間>

  • バリューチェーン
    製品・サービスが顧客に提供されるまでの各プロセスで価値を付加していくのが企業の活動と捉える。
  • PDCA
    改善活動をPlan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)のサイクルと捉える。
  • STP
    マーケティングプロセスをSegmentation → Targeting → Positioningと捉える。

フレームワークのアドバンテージは、議論領域を規定することで対象をモレなく捉えることができるところにあります。さらに、対象を自動的に分解できる利点もあります。ビジネスに関する情報を集めて「答えを得られるように問題をできるだけ小さく分解する」と言われても、素手でできるものではありません。

ところがフレームワークを使えばオートマティックに情報を分解することができます。詳細な説明は経営戦略論の教科書に任せますが、ビジネスを分析するときは、調査した情報を顧客、競合他社、自社の3つのCに分解すればよいのです。

ビジネスの理論を勉強した人から「どのようなときにどのフレームワークを使えばよいかがよくわからない」という悩みを聞くことがありますが、最初の手掛かりとしては空間なのか時間なのかという観点で判断すればよいでしょう。空間や時間というと抽象的でわかりにくいというのであれば、前者は「環境分析もしくはステークホルダー分析」、後者は「プロセス分析」と理解すればよいでしょう。

フレームワークで本当にモレなく把握できるのか?

実務対応としては、「フレームワークを使うことで議論領域をモレなく把握する」でよいと思いますが、フレームワークと議論領域の関係はもう少し複雑です。わかりやすく説明するために実例を紹介します。

 

1980年代は日本が半導体の王者として世界に君臨していたので、半導体工場の新設ラッシュに沸きました。そんな中、三菱電機が四国の今治に最新鋭工場を立ち上げたのですが、品質不良が続出して大問題になりました。工場も納入業者(筆者はレジストの剥離剤を売っていました)も原因を解明すべく4M(Man、Machine、Material、Method)を使ってモレのないように徹底的に調査したのですが、問題点を見つけることができなかったのです。

 

最終的に、原因は潮風による空気中のナトリウムであることが判明しました。今治工場が本邦初の海に近い半導体工場だったためです。4Mのフレームワークに雰囲気[9]はないので、それがモレてしまったのです。

 

現実から帰納的アプローチによって理論が形成され、理論を基にしてフレームワークが作られ、フレームワークによって議論領域が設定されます。したがって、フレームワークが対象をモレなく把握するというのは、あくまでも帰納的アプローチ(=必ずしも真ではない)という限定条件が付くのです。逆に言うと、現実と対峙しながら理論とフレームワークも進化していくということです。そこが科学的なアプローチの強みと言えるでしょう。

[5] 18世紀のドイツの哲学者。ケーニヒスベルク(現ロシアのカリーニングラード)で生涯結婚も旅行もせず、規則正しい生活を続けて哲学を研究した。毎日決まった時間に散歩するカントを見て人々は時計を直したと言われている。
[6] カント(2013)「純粋理性批判」光文社文庫,p.63.
[7] 前傾書,p.70.
[8] 前傾書,p.75.
[9] 化学の分野でいう「雰囲気」は、気体の状態や、その条件下にある状態のことを言います。


5. クリティカルシンキングに欠けているもの

根拠が薄弱であるというクリティカルシンキングの問題点を踏まえて「考える」についての理論的背景を見てきましたが、最後はクリティカルシンキングを実務に活用する際の問題について検討してみましょう。

クリティカルシンキングに標準的な知的体系がないとはいえ、その内容がおかしいということはありません。どの流派もMECE(モレなくダブリなく)、演繹法と帰納法、ピラミッドストラクチャ、仮説と検証といったアプローチを使って「考える」を実践するように説いています。いずれも方法論として正当性が認められているものなので、そこに問題はありません。

検討すべきポイントはそれで本当に「考える」が実践できるかということです。残念ながらそれは容易ではないと思います。なぜなら、クリティカルシンキングが推奨する方法論を身に付けたとしても、実際には次のような課題が残るからです。

  • どのような課題を見つけることを期待されるのか。
  • 課題を見つけるためにどのような問いを発したらよいのか。
  • 対象に関するすべての情報をモレなく調査することはできないので、情報を取捨選択する必要がある。何が重要な情報で何が重要でない情報なのかの判断をどのようにすればよいか。
  • 収集した情報やデータをどのように解釈すべきなのか。情報やデータはどのような意味を持っているのか、何を物語っているのか。
  • 情報やデータを意味のある形で構造化するためにはどうしたらよいか。
  • 仮説をバイアスなしに検証するためにはどのようにしたらよいか。

これらの問いに対して常識で対処できれば問題はありません。しかし、実際のビジネスはそれほど単純ではないので、常識だけでは通用しないほうが多いと思います。

例えば、「職場のエンゲージメントを改善する」という課題を想定した場合、クリティカルシンキングは情報をモレなく収集し、MECEに分解して、それを適切に解釈し、ピラミッドストラクチャで構造化することを推奨します。果たしてクリティカルシンキングの方法論と常識だけで対応できるでしょうか。何かが欠けているのではないでしょうか。

ビジネスの現実と対峙したときに、クリティカルシンキングに欠けているのは「ものの見方」です。ここで言うものの見方とは、理論、調査方法、公理、標準などを含む特定の概念や思考パターンを指します。つまり、パラダイムのことです。われわれはパラダイムに基づいて、あるいはパラダイムを手掛かりにして対象を認識し、他者とのコミュニケーションを行います。

逆に言うと、パラダイムがないと対象を認識することは極めて困難になります。

例えば、会社の借金が増えたという情報を入手したとしましょう。常識に基づいて考えると「望ましくない」という認識ぐらいしかできないと思います。そして、「なぜ望ましくないのか」と問われたら、「それが常識だから」としか答えられないでしょう。

それに対して、ファイナンス理論のパラダイムに基づいて考えれば、「借金が増えれば節税効果によって企業価値が向上し、株価の上昇が期待できる」、「経営に規律が働くようになる」というようなポジティブな認識も可能になります。

ビジネスはプロとプロとの戦いですから、適切なパラダイムで知的武装をしなければ勝ち目はありません。また、ビジネスの理論に基づいた適切なパラダイムがないとスピーディに対象を理解することは困難です。ぼやぼやしているうちにライバルにチャンスを奪われてしまいます。

クリティカルシンキングは包丁に例えられます。包丁なので切れないということは決してありません。しかし、包丁の切れ味と魚をさばくことは別です。魚をさばく技術を身に付けていなければ料理人としては生きていけません。

つまり、ビジネスの現実を理解できるパラダイムを身に付けていなければ、クリティカルシンキングという包丁が使えないということです。クリティカルシンキングを活用するためには、適切なパラダイムが必要で、そのためにはどうしてもビジネスの理論を学ぶ必要があるのです。


6. まとめ

ビジネスにおいては「根性」よりも「考える」ことが大事。これが昨今の風潮と言えます。それに応えるように、クリティカルシンキングのアプローチが認知されるようになりました。

ところが、クリティカルシンキングは、そもそも「考える」というのはどういうことかという根本的な議論を避けて、ノウハウの紹介に注力しているように見えます。ノウハウが通用するのは相手が素人のときだけです。プロの世界では本質的な議論ができないと相手にされません。そのため、プロのビジネスパーソンは、ノウハウを習得する前に「考える」ということについての深い理解が求められるのです。

「考える」というのはシステマティックな頭の動かし方と言えます。答えが出ようが出まいが、システマティックな頭の動かし方をしていれば考えていることになります 。一方、システマティックな頭の動かし方をしないで答えを出す場合は、思い付きになります。答えが出ないときは、悩んでいることになります。

ビジネスにおけるシステマティックな頭の動かし方とは、次のようにモデル化できます。

  1. 対象に関するFactをモレなく収集する。
  2. フレームワークを活用して情報を分解する。
  3. 帰納的推論を使って答え(仮説)を導く。
  4. 仮説を検証することでその蓋然性を追求する。
  5. このシステムを効果的に回すためには適切なパラダイムが必要となる。そのためにはビジネスの理論を身に付けることが必須となる。

考える力はビジネスにおいて必須のスキルです。日々の仕事を通して、改めて「考える」とは何かについて振り返ってみるとよいでしょう。

<参考文献>
・グロービス経営大学院(2017)「グロービス MBAクリティカル・シンキング改訂3版」ダイヤモンド社.
・Willard Van Orman Quine(1982)「Methods of Logic: Fourth Edition」Harvard University Press.
・今道友信(2013)「アリストテレス」講談社学術文庫.
・山口義久(2005)「アリストテレス入門」ちくま新書.
・デカルト(1997)「方法序説」岩波文庫.
・カント(2013)「純粋理性批判」光文社文庫.
・野矢茂樹(2017)「入門!論理学」中公新書.
・山本和隆(2011)「MBA式考える文章術」東洋経済新報社.

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