カルフールの価格交渉戦術に学ぶ 「交渉」に潜む罠とその対策

「高い!高すぎる!うちに商品を置きたいのならこの(価格の)半分以下じゃないと話になりませんよ!」

もし、交渉相手からこのように言われたら、あなたならどうしますか? 

これは欧州最大の小売業で、世界各国に事業展開しているフランスのカルフールが日本に進出した際に、実際に行ったとされるメーカーサイドへの価格交渉術です。 この戦術は単に価格交渉という観点では大きな成果を挙げました。

一方で、カルフールは2000年末に日本市場に進出しましたが、2005年に撤退しています。本国の業績不振が原因と報道されていますが、日本市場における取引先と品揃えが不足したことも一因であり、その背景には、購買時の値引き交渉の戦術が影響したのではないか、という指摘があります。

 最近では、宅配事業者大手のヤマト運輸が、法人客約1千社と「値上げ交渉」を行なっていると報道されていますが、今回の値上げ交渉に対して、業界の慣習を変え、功を奏しているという見方がある反面、値上げを受け入れるか、それとも取引終了かを巡り「取引先とトラブルが発生している」という報道もあります。

 ビジネスシーンにおける「交渉」で最も日常的に行われているのが、こういった商品やサービスを売買する際の「価格交渉」ではないでしょうか。
そしてこの価格交渉では、一般的に買主はできるだけ安く買おうとし、売主はできるだけ高く売ろうとしますが、商品やサービスの売買には、品質、納期、数量、サービスなど、複数の条件があるにも拘わらず、「最初に価格から交渉する」というのは正しい交渉なのでしょうか。

ビジネス交渉では、何を、どの順番で、どのように表現するかを考えた交渉シナリオを事前に準備しておくことが重要です。 

そこで今回は、こういった価格交渉の事例について、実際の交渉事例を研究している「交渉学」の観点から分析し、巧みな交渉術と呼ばれるテクニックとは何か、そしてそれらを使うことによって得られるメリットだけではなく、使うことによって生じる可能性のある「リスク」という観点でも分析し、交渉を通して中長期的にwin-winな関係を構築する考え方をご紹介していきたいと思います。

1. カルフールの価格交渉戦術

カルフールの交渉事例について、公開されている情報から、もう少し詳しく見てみましょう。

1-1. カルフールの値引き交渉

NRIJ(購買機能を専門とする英国PMMSコンサルティング・グループの日本法人)によるとカルフールには、購買マニュアル(トレーニング・テキスト)があり、値引き交渉について、以下の指示が記載されていたそうです。

「取引先の見積金額を見たときには、どのような金額が記載されていても、まずは“たじろぎ”、『何ですって!』などと、その見積金額を大声で批判せよ!」

(平原由美、観音寺一嵩著、「戦略的交渉力」、東洋経済新報社、2002、P1) 

もし、あなたが、買主からこのようなアプローチを受けたらどうするでしょうか。この交渉の効果があったのか、NRJIによるとカルフールは、メーカーとの直接取引において、同じ日本製の商品でも、他の小売業より55%も安く仕入れることができたそうです。このアプローチに直面した日本企業は、驚き、そして、冷静な対応ができず、大幅な値引きに応じたか、もしくは、取引を断念したそうです。

一見、55%という大幅な値引きを得たカルフールにメリットがあったように見えます。
しかし、その後、カルフールが日本市場から撤退し、その原因の一つとして、取引先や品揃えの不足が影響していると言われていることを考えると課題が見えてきます。

相手の心理の隙間を突く交渉術は、短期的には一定の効果があります。しかし、継続的な取引先と関係を構築し、それを維持することを目指すパートナーシップ交渉の場合、本当に効果的な方法であるかには疑問があります。

もし、このマニュアルの存在が事実であり、その指示により一律の対応をしていた場合、マニュアルの存在が知られていなくても、全ての購買交渉で、最初に同じアプローチをすれば、同業者の間で話題になるでしょう。
そうすると、売主側も、最初に値引き交渉される前提で高めの価格を提示しよう、価格しか評価していない買主だから、品質や商品ラインアップはそこそこの提案に留めておこうという対応になる可能性があります。そうなると取引先の拡大や魅力的な商品のラインアップを揃えるのは、難しくなるでしょう。

更に、このような交渉に直面し、思わず大幅値引きに応じてしまったり、特別価格に見合う条件に期待して取引を始めた売主でも、その後、取り得る方法として、以下の3つが考えられます。

① 取引商品を絞る

特別価格を維持するのが難しいか、それに見合うと期待した条件が確保できない場合、新商品の提案を控えたり、商品の切替え時期などに、商品ラインアップを減らすなどの方法で、取引商品を絞る可能性があります。

② 取引期間を限定する

年度末や期末などの時期に、取引を継続しない、または、新商品の見積段階で、取引の有効期間を限定するなどの方法で、取引期間を限定する可能性があります。

③ 対抗条件を提示し、それが無理なら取引から下りる

対抗条件(例えば、数量の確約、流通などの必要経費のコストを下げる方法や負担方法の変更など)を提示し、その条件が受け入れられない場合、取引停止を申し入れる可能性があります。

いずれにしても、この交渉術は、同じ方法を繰り返し同じ相手に用いたとしても、継続的に効果が続くかというと大いに疑問があります。
むしろ繰り返し使うほど信頼関係を損なうと言っても過言ではないでしょう。
従って、継続的な取引を期待するパートナーシップ交渉に用いることは、リスクの方が大きい交渉方法であると言えます。

  • ヤマト運輸の値上げ交渉

    一連の報道によるとヤマト運輸が、法人客約1千社に対して、2017年に9月完了を目処に値上げ交渉を行なっていること、その背景が長時間労働問題に端を発する宅配事業の構造問題であることは、ヤマト運輸がメディアに開示しています。この事例では、社会問題と業界の構造問題が背景にあるとは言え、通常、法人同士の交渉は、時期や条件をオープンにして行ないません。そのため、対象、目的、完了時期を公開して交渉しているのは、珍しい事例です。

    一部の法人客には、取引打ち切りの交渉をしているという報道もあります。しかし、実際にどのような条件で交渉されているのか、値上げ条件に合意できない場合、どのような基準で取引終了の判断がされているのかなどは分かりません。

    通常、継続的な取引先と価格などの条件を変更する交渉は、事前に定期的な見直しルールが決まっていない場合、以下の3つのタイプが考えられます。
     

    ① ハード型

    変更したい条件を書面にして通知し、期限を決めて、YESかNOかの回答を迫り、期限を過ぎたら、自動的に条件を適用する方法です。
    重要な変更の場合、期限内に合意できない場合は取引を停止する、または、一定の期間が過ぎたら取引を終了し、継続しないというオプションを採用するという方法もあります。一定の期間で結果が得られ、効率的な方法ですが、取引先とトラブルが発生する可能性が残ります。
     

    ② ソフト型

    変更したい条件の適用を希望する時期より前に、対面で交渉し、合意した場合に、合意した条件で条件を変更する方法です。
    時間を掛けて、何度も交渉することになり、期限も決まっていないので、効率的な方法ではありませんが、取引先と円満に問題を解決するチャンスがあります。但し、交渉を続けても、結局、合意できない可能性が残ります。
     

    ③ ミックス型

    変更したい条件を書面にして通知し、期間を決めた上で対面で交渉する方法です。

    但し、一定の期限までに合意できなかった場合は、変更したい条件を適用するか、一定の期間が過ぎたら交渉を終了し、その後、取引を継続しないというオプションなどを決める方法です。

     

    ハード型、ソフト型と比較すると交渉のプロセスと期限が決まっているのが特徴ですが、事前に契約書などの書面で、協議のルールが決まっていない場合は、この方法を受け入れるか否かから交渉することになります。

    もし、一方的に打ち切るとなればハード型と同様に取引先とトラブルが発生する可能性があり、協議を期限なく続けるとなればソフト型と同様に決着が付かない案件が発生することになります 。

     

    いずれの方法であっても、継続取引先との関係を維持しながら、大幅に条件を変更する交渉は、事前に協議のルールを決めていない限り、難しい交渉になると思われます。

 

2. 気が付いたらあなたも嵌(はま)ってる!?「交渉」に潜む3つの心理的な罠

それでは、もし、あなたがこのようなアプローチを受けた場合、冷静に対応するためにはどうすれば良いでしょうか。
知っておくと回避できる、「交渉で陥り易い交渉心理の3つの罠と注意事項」を解説します。

2-1. 思わずYESかNOと答えてしまう「二分法の罠」

物事を白黒、善悪、正解か不正解、というように二者選択で考え、どちらかの選択肢を選ぼうとする思考法を「二分法」と言います。交渉の最終段階において、相手と議論した条件で合意するか否かを判断する場合は、YESかNOかを決める必要があります。但し、交渉の初期段階や、まだ十分に議論ができていない段階において、相手がYESかNOかと答えを迫ってきたからと言って、すぐにそう答えるべきかどうかは疑問です。

しかし、交渉中は緊張しており、YESかNOかと聞かれると思わず、どちらかを答えてしまいたくなります。二分法は、その心理の隙間を突いて相手を追い込む交渉術に良く使われますので、注意が必要です。

2-2. 数字しか見えなくなる「アンカリングの罠」

相手が数字などの分かりやすい条件を提示してきた時、その提示条件を前提として考え、他の条件や自分の提案が考えにくくなる心理を「アンカリング」と呼びます。アンカーは船の碇であり、アンカリングは、交渉中に相手から頭の中にアンカーを打たれるイメージです。アンカリングは、バイアスと呼ばれる心理的な偏りにおいて、最も陥り易いと言われており、アンカリングの罠を乗り越えるのは容易ではありません。

例えば、いきなり買主から30%の値引きが要望された場合、売主がすぐに応じて、まずは半分の15%値引きから始めて落としどころを探る、という交渉スタイルは、典型的にアンカリングの罠に掛かった交渉です。なぜ30%なのか、この時点で値引きする意味はあるのか、それともないのかなど、相手の意図がわからない段階で、数字に数字で応じてしまうのは危険です。

2-3. ギブ・アンド・テイクに潜む「返報性の罠」

交渉の過程で、相手が最初に提示した条件から譲歩した場合、こちらも何か譲歩しなければならないという心理に陥り易くなります。この心理を「返報性」と呼びます。いわゆる、ギブ・アンド・テイクです。交渉でギブ・アンド・テイクをしたら誤り、ということではありません。しかし、相手が譲歩をして、こちらにも譲歩を求めてきた場合、相手がなぜこの時点で譲歩してきたか、今譲歩して返すべきなのかを良く考える必要があります。

相手は、意図的に譲歩に譲歩で返さないと失礼ではないか、という心理を巧みに利用して、譲歩を迫っている場合もあります。相手はなぜ譲歩したのか、それに伴いなぜこちらに譲歩を求めているのかの理由を良く確認してから対応すべきであり、安易に譲歩に譲歩で返さないことが重要です。

 

3. 思わずYESと言わされる巧みな交渉術

交渉において、相手の説得に思わずYESと言いそうになった経験を持つ方は多いでしょう。交渉中は誰でも緊張します。その心理の隙間を突いた巧みな交渉術は数多くあり、書籍などでも紹介されています。

交渉学では、これらの交渉術の概要と対策について、防御の観点から研究しています。なぜなら、事前に知っておくと相手がこのようなアプローチを受けても、冷静で効果的な方法により防御できるからです。

その中から、代表的な3つの交渉術の概要とそれに対抗するため考え方をご紹介します。

3-1. 伝統的なロールプレイ「グッドコップ・バッドコップ」

「グッドコップ・バッドコップ」とは、刑事ドラマなどで犯人に対峙する「良い刑事役」と「悪い刑事役」のロールプレイのことです。このパターンはビジネス交渉のシーンでも、最も頻繁に用いられる交渉スタイルの一つです。

例えば、継続的な取引先(得意先)に、かなり無理な「条件の変更」をもちかけられたとします。交渉者が二人いる場合、どちらかが良い刑事役を、どちらかが悪い刑事役を担当します。

悪い刑事役が交渉の場にいない場合でも、交渉者が良い刑事役を演じ、この場に居ない上司の指示だから仕方ない、会社のルールや業界の問題であり自分にはどうしようもない、というような説明をし、自分は良い刑事を維持しながら、相手を説得する交渉スタイルを取ってきます。 

こういったシーンでは、バッドコップから強い言葉を言われても、グッドコップから甘い言葉を言われても、冷静に、なぜ相手がこの条件を提示しているのかを考えて対応する必要があります。
更に、バッドコップが交渉の場にいない場合は、「それが本当にバットコップの言葉なのかは分からない」と考えるべきです。

最近の刑事ドラマでは、犯人側もこのロールプレイをよく知っており、「今日は、どちらの刑事さんがグッドコップですか?」という質問をして、この方法を封印するシーンが出てくることがあります。グッドコップとバッドコップは、事前に打合せした(或いはその企業で慣習的に行われている)シナリオに基づき役割を演じているのであり、役割に影響されず、冷静に対応することが重要です。

3-2. 大きなNOから始める「ドア・イン・ザ・フェイス」

最初に過大な要求を出して相手に敢えてNOと言わせた後、徐々に条件を下げながら、本来の要求を出し、YESを引出す心理テクニックです。交渉相手がドアから少し顔を出して、徐々に条件交渉しているイメージから、「ドア・イン・ザ・フェイス」と呼ばれています。
自分が譲歩したら、相手も譲歩せざるを得なくなるという「返報性」の心理を巧みに突いた交渉術です。最初に相手が過大な要求を提案してきた場合、すぐに「二分法」の罠に陥りYESかNOかで答えるのではなく、なぜその条件を要求してきたかを考えて対応することが重要です。

3-3. 小さなYESから始める「フット・イン・ザ・ドア」

「ドア・イン・ザ・フェイス」とは逆に、最初に取るに足らない小さなYESを引き出し、その上で、徐々に条件を上げながら、本当に欲しい条件に対して、思わずYESと言わせる心理テクニックです。交渉相手がドアを閉めようとしているところに無理やり足を入れてこじ開けようとするイメージから、「フット・イン・ザ・ドア」と呼ばれています。

例えば、最初に、「前回の交渉で基本合意ですよね!」と言う曖昧な合意確認にYESと言わせておき、個別の条件交渉でもめた場合は、「先ほど基本合意したのに、なぜ今更、NOと言うのですか。」と詰め寄り、更に、YESと言わせる方法です。これは、一度、YESと言ってしまったら、安易に変えにくいという心理の隙間を巧みに突く交渉術です。「ドア・イン・ザ・フェイス」と組み合わせて用いられることもあります。

曖昧な基本合意について同意を求められた場合、「前回の交渉では、○○は決まりましたが、△△はまだですね。また、□□はこれから協議すると理解していますが、この理解で宜しいですか?。」というように具体的に回答するなど、安易に抽象的なYESを言わない対応が重要です。

4. 巧みな交渉術への対策

これらの交渉術は、相手の心理の隙間を突いて思わずYESと言わせるために考えられたテクニックです。そのため、初対面の交渉、一回限りの交渉において、相手に短時間でYESと言わせる効果があるのは事実です。
しかしながら、事前に概要を知り、対策を準備しておけば封印することができます。また、継続的な関係を構築したい相手にこれらの交渉術を用いることは、信頼関係を持ったパートナーシップを作ることが難しくなり、リスクの方が大きい方法です。

4-1. 交渉術を駆使することで生じるリスクとは?

生物学の研究者であり、企業の経営者でもある米国のコーエン博士は、交渉術について、以下のようにコメントしています。
(C.M.コーエン、S.L.コーエン著、「ラボ・ダイナミクス 理系人間のためのコミュニケーションス
キル」Medical International 2007、P49)

「空港の売店では、「交渉ですべての望みをかなえる方法」だの「絶対に譲らない!最強の交渉人にになる方法」だという本を目にすることも珍しくない。けれども読者の方々は、絶対にこうしたアプローチをとってはならない。

 なぜなら、研究者であるあなたの交渉相手のほとんどは、職場の同僚や従業員や雇用主など、継続的なやりとりがあり、今後も長期にわたって付き合わなければならない人物であるからだ。現時点で自覚があるにせよないにせよ、こうした人々との関係は、あなた自身にとってもあなたの未来にとっても重要である。
 巧妙な交渉術で彼らを操って、後悔するような合意をさせたり、してやられたという気持ちを抱かせたりすることがあってはならない。」

コーエン博士のコメントから、次の3つことが読み取れます。

① 巧みな交渉術にはリスクがある

継続的な関係にある相手に対して、巧みな交渉術を用いることには、リスクがあることを明言していいます。逆に、巧みな交渉術には、一定の効果があると思うからこそ、警告しているとも言えます。相手の心理の隙間を突く巧みな交渉術は、知識として知っておく必要はありますが、それを実際に用いる場合は、より慎重な対応が必要です。

② 職場の上司や同僚との間にも交渉はある

交渉のシーンと言えば、対外的な交渉が思い当たりますが、職場の上司、同僚など、社内の組織においても、日常的に交渉があります。複数の当事者の間に対立や衝突という問題があり、それを解決する問題解決のプロセスが交渉だからです。

③ 研究活動にも交渉力が必要である

交渉力が必要な職種としては、営業や渉外など、対外的な業務の担当者が思い浮びますが、研究者や技術者などの職種であっても、交渉力は必要です。交渉力は、トーク力のみだと思われがちですが、分析力+コミュニケーション力+意思決定力の総合能力であり、全ての職種に必要不可欠な能力です。

4-2. 冷静な対応のための3つのポイント

ここまで見てきたような交渉術のアプローチを受けたとき、冷静に対応するためには、どうしたら良いでしょうか。
以下に3つのポイントをご紹介します。

① 交渉術のパターンと、自分の特徴を知る

グッドコップ・バッドコップなどの交渉スタイルがあり、どのような心理テクニックなのかを知っておくことにより、相手がこれらの交渉術を用いてきた時に、冷静に対応できます。
また、学んだ知識を自分の過去の交渉に当てはめてみて、しまったと思った経験がどの交渉術を使われた時に当たるかを振り返れば、自分が陥り易いパターンを知ることができます。

② 質問を準備する

対応の基本は、相手の要求に対して、背景や理由を確認できていない段階で、安易に即答しないことです。YESかNOかと聞かれたから、どちらかを答える義務がある訳ではありません。相手が譲歩したからと言って、こちらも譲歩する義務がある訳ではありません。
しかし、交渉中は緊張しており、思わず答えてしまうことがあります。また、相手の心証を気にして、答えなければならないと思い込んでしまうこともあると思います。これらに備えるために重要なのは質問をすることです。

冷静に対応し、効果的な質問をするには、交渉前に、何を質問するか、いつ質問するか、どのような表現で質問するかを考えて準備しておくのです。
例えば、商品の売買交渉で、買主に提案する立場の場合、相手がどのような条件で交渉してくるかを考えて箇条書きで書き出し、それに対して、何を、どのように質問するかを準備しておきます。事前に書いて準備しておくと緊張している交渉中でも、冷静に対応できます。

相手の心証に配慮して質問するには、例えば、「ご要望について、きちんとお答えしたいので、〇〇について、教えてください。」と言うように、相手の発言を受けて質問している意図をはっきり言うのも有効な方法の一つです。

それでも、答えにくい要求を意図的に強い言葉で言われることがあります。その場合には、適当な間(ブレイク)を取る方法が有効です。
相手は何らかの意図があって強く発言した可能性がありますが、相手も緊張しており、思わず強く言い過ぎてしまった可能性もあります。
ブレイクは、自分のみならず相手にも冷静になり、お互いにリカバリーする時間を確保できる有効な方法です。
それ程難しいことではなく、「ご要望について、きちんとお答えしたいので、○○分時間をください。」というレベルで良いのです。
窮地に陥ったら、ブレイクを取り、一呼吸おこう思うだけでも、気持ちが楽になるはずです。

③ 対策を練習する

これらは言われてみれば、それ程難しくないように思えるでしょう。しかし、実際に、緊張した交渉の場面で、冷静に考え、スムーズに対応するのは結構難しいものです。そのため、事前に対策を準備するだけではなく、準備した内容を練習しておくことが重要です。

交渉学研究では、交渉力の育成プログラムとして、実例から開発された交渉ケースを用いた交渉力の育成方法が開発されています。売買交渉であれば、売主役と買主役に分かれて、模擬交渉を行ない、そのシミュレーションの結果から学ぶものです。

例えば、同僚や仲間に相手役になってもらい、相手のセリフを言ってもらいます。それに対して、準備している質問や答えを、スムーズに話せるかを練習しておくだけでも、心に余裕が生まれ、実際の交渉にも効果が期待できます。

4-3. 交渉準備の3つのポイント

更に、交渉前に以下の準備をしておくと有効です。交渉は準備8割と言われており、事前の準備が非常に重要です。交渉前に行なうべき準備の3つのポイントをご紹介します。

① 交渉で何を実現したいかを決める

例えば、売買交渉では、「〇〇円で売りたい、□□円で買いたい。」ということが目的になりがちです。しかし、こちらが提案する条件に相手が合意した先に何を実現したいのかを考えてください。交渉で実現したい目的を決めるということです。これが、交渉中に相手の条件を受け入れるべきか、この相手と組むべきか否かに悩んだ時の判断基準になります。

② 幅のある目標を準備する

目的を実現するために、自分が理想とする最高の条件だけでなく、最低ラインの条件の両方を決めてください。幅のある目標を決めるのです。例えば、売買交渉では、価格以外にも、品質、数量、納期などの複数の条件があり、これらを組合せて最高の目標と最低の目標を決めておくのがベストです。

③ 合意できなかった場合に備える

交渉では、合意できれば正解と思いがちですが、交渉で実現したい目的を実現できる条件でなければ合意しない方が良い場合もあります。また、合意することが、逆に将来に禍根を残すという場合もあります。そのためは、交渉前に、合意できない場合のバックアッププランを用意しておく必要があります。

心理の隙間を突くテクニックに陥り易いのは、交渉相手と合意することが交渉の目的になり、何とか落としどころを見つけて合意しようという心理が働くからです。不合意に備えて予め代替案を準備しておけば、心に余裕が生まれ、冷静に対応できます。

例えば、「今回、この相手と合意できなくても、他の相手と合意できれば良い。第二候補は、△△社だ。今回の交渉では、相手が信頼できるかどうかを見極めよう。」というレベルからで良いのです。

初対面の相手との初回の交渉では、取りあえず出方をみて、何か言われてから考えようと思うかも知れません。
しかし、5分でも良いので、これら3つを考えて、交渉前に準備しておくことをお勧めします。
そうすれば、交渉術を用いた意外なアプローチがあったとしても、自分がすべきことが分かっているので、冷静に対応できます。
また、交渉結果が期待通りでも、期待はずれでも、事前に準備した交渉シナリオと比較して、何が問題であり、次に何をすべきであるかを知ることができます。

交渉力が高いビジネスパーソンとは、自分に有利な条件を相手にYESと言わせる能力を持っている者を意味するのではありません。交渉において、合意に至っても、合意に至らなくてても、交渉結果を冷静に自己分析でき、上司や同僚に自信を持って、何を目指して、どのように交渉し、どのような理由で、このような結果になったか、そしてそのために次は〇〇をすべきと考えていると、明確に説明ができる能力を持つ者なのです。

  • 次善の策の準備

     法人間の継続的な取引関係について、ハーバード大学のハート教授は、契約書に規定がなく、予期していない事態が起きた場合に、企業がどのように行動しているかを経済学の視点から分析し、「不完全契約理論(Incomplete Contract Theory)」というモデルを考案しています。
    このモデルは、企業の経営に貢献したことも評価され、2016年ノーベル経済学賞を受賞しました。

    ハート教授はこの「不完全契約理論」中で、
    「継続的な取引関係においては、想定外の事態に備えて、セカンドベスト(次善の策)を準備しておくことが重要である」
    と指摘しています。

    また、ハーバード大学フィッシャー教授に始まる交渉戦略に関する研究(「交渉学」)では、バトナ(BATNA Best Alternative to a Negotiated Agreement)という概念があります。
    これもセカンドベストと同様に、交渉において目的が達成できなかった場合に備え、事前に代替案を準備しておくことの重要性を指摘しています。

    ヤマト運輸のように、労働問題を背景にした値上げ交渉は想定外かもしれないですが、価格変更は通常取引でもあり得ることであり、事前に協議のルールを決めておくことは可能です。 

     継続的な取引であれば、価格に限らず、定期的に条件の改定や見直しをする必要性は双方に生じます。その際に、円満に協議して解決できれば良いのですが、大幅な条件変更の場合は、いずれか一方が困った状況や追い込まれた状況にあることが多く、交渉に時間を要し、結論がでないこともあります。 

    そのため、お互いが冷静な段階で、誰が、どのように協議して、いつまでに結論を出すかという協議のルールを決め、双方にとって明確な契約書などの書面にしておく方法がベストです。

5. まとめ

交渉に正解や不正解はありません。この交渉術を用いたら相手は必ずYESと言う、というメッセージを見たら、まずは疑ってみるべきです。相手の心理の隙間を突く交渉術は、短期的には効果があっても、中長期的にはリスクの方が大きいからです。

一方、交渉中は緊張しますので、いつもと違い、相手のアプローチに思わずYESと言ったり、強く言われた相手に必要以上に引いてしまうことはよくあり、後味が悪いものです。

交渉術には、その概要と対策について、専門家による研究があります。それらを学び、対策を準備しておけば、冷静に対応できます。交渉の方法に100%の正解はありません。しかし、成功確率を上げる方法はあります。これも、専門家による研究があり、知っておくだけでも価値があります。

ここでご紹介した交渉術の中には、自分も経験した、良くある例だ、と思われた事例があったのではないでしょうか。そうであれば、その時の自分の交渉経験を振り返り、相手はなぜその方法で交渉してきたのだろうか、今冷静に考えれば何ができたのだろうか、そして、次に同じことがあれば自分はどうするかを考えてみてください。

ビジネスは社内でも社外でも、日常的に、意見や条件の対立や衝突と言う問題を乗り越えながら進めるものです。そのため、問題解決のための交渉ができる能力は欠かせません。

「交渉が苦手だ、できれば交渉といった類のことをしたくない」という方もいらっしゃるでしょう。しかし、交渉力は知識とトレーニングで向上する能力であり、能力が身に付けばきっと交渉するのが楽しくなるはずです。

交渉に関する報道や情報、交渉学の書籍などに興味を持ち、自分にとって有益だと思う知見を学び、ぜひ、実際のビジネスで活用してみてください。

 

<参考文献・情報>

O.ハート著、鳥居昭夫訳、「企業 契約 金融構造」(原題:Firms, Contracts, and FinancialStructure)、慶應義塾大学出版会、2010
・R.B.チャルディーニ著、社会行動研究所訳、「影響力の武器[第三版](原題:Influence Science and Practice)、誠信書房、2016
・M.H.ベイザーマン、D.A.ムーア著、長瀬勝彦訳、「行動意思決定論 バイアスの罠」(原題Judgement in Managerial Decision Making)、白桃書房、2011
・一色正彦、竹下洋史著、「法務・知財パーソンのための契約交渉のセオリー」、レクシスネクシス・ジャパン、2014
・日本でコストコが成功し、カルフールが失敗した理由(ニューズウィーク日本版)
https://www.google.co.jp/amp/www.newsweekjapan.jp/amp/m_tanaka/2017/02/post-1.php
・カルフール撤退が残した教訓(ロジスティクス・ビジネス)
http://www.logi-biz.com/pdf-data.php?id=107
・ヤマト契約打ち切り「とりつく島がない」通販業者悲鳴(朝日新聞デジタル)
http://www.asahi.com/sp/articles/ASK4V5R6FK4VULFA029.html?iref=line
・ヤマト、1千社と値上げ交渉 荷物、8千万個減めざす(朝日新聞デジタル)
https://www.google.co.jp/amp/www.asahi.com/amp/articles/ASK4X5VD6K4XULFA03N.html
・ヤマトvsアマゾン(プレジデントオンライン)
http://president.jp/articles/-/21975?display=b
・ヤマトが値上げの先に見据える“アマゾンとの交渉”の中身 (ダイヤモンド・オンライン)
http://diamond.jp/articles/-/121092?display=b

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